【和顔、愛語、讃嘆とことばの創化力】

講習会後、懇談会があり、努力した割には厳しい結果であった。それぞれ悔いのない努力をした筈、それ程に暗さはなし。

総裁御夫妻も、結果云々よりも、月刊誌の新スタートへ見本誌を呈出され、意見具申に盛り上がりを感じた。

それぞれ七者の挨拶の折、栄える会として、岡本部長に本住吉神社で檄をうけて、あと一週間悔いのない行動をした報告。 

海の満潮、引き潮、太陽の満ち欠にかけて、マイナス×マイナスはプラスの法則で次回に頑張って欲しいと結んだ。 

“ウマイ事云うね!”と仰った。

“いやぁ?イマイこと云うでしょう!”

“シャレ神戸です”と、思ったが言う勇気がなかった。 それを言っちゃおしまいよ!


今の時代を“嵐の海”に例えよう。 

難破して、海に落ちたあの岸ぐらい泳いでやろうとした人は、力んで体力消耗溺死したが、泳ぐ自信のない人は流れて来た船板につかまって、じっと救助を待って助かった話がある。

思うがままにならない事にくよくよするな!事業もそうだ!子育てもそうだ!もちろん政治もそうだが・・・。


どの道だって、行き詰る道はないのである。 

大道を歩むには、人智を棄てよ! 

無我の時、ふと神智が宿るものである。 そのアイデアを受けるには、普段から肯定的、プラス指向の心掛けや神想観の折に明るいことばを・・・。

私の廻りは、常に明るい人が集まる。 増々よくなる。 どんどんよくなる。 

あぁ、うれしいな。たのしいな。 私に必要なる良き人、物、事がどんどん集まり、用足りて自ずから去る。 あぁうれしいな、楽しいなと明るいことばを自分に云って聞かせて、その気になることである。


これからも夢の道を歩む。 我が人生、いろんな思い出、数知れず。 進歩あったり、それなりの退歩には学び、破戒には新芽に気づく注意力を身につける。

過去は山裾のようなもの。 反省も大事だが、それよりももっと大きな夢と希望の峰を目指そう!

自由にのびのびと夢のある道を! 私の歩くこの道は、夢のある確かな道である。

人間は何の為に生まれて来たのか? 幸せになる為に生まれているのです。 幸せな子供は、幸せな母親から・・・。 まず母親が幸せを感じること。 不幸な人はじたばたする。 否定的なことばが愚痴に走る。 足りてるのに不足を口にするからだ。 幸せになれる人は明るい人生観の目標を持っている。

目的  意識の確立。


    成功への方程式・・・・・能力×情熱×信念


誰も“能力”と“情熱”はほとんど変わらない。 その差は“信念”である。

“信念”とは人が言う今の心情である。 子育てとは、親育てである。 ことばが変われば運命が変わる。

今の心の種蒔きで将来の運命を開くのである。

子供は、親の言うことは聞かないものである。 しかし、親の行動は確り見てる。 子供を叱る時、よく観察してごらん。 自分のことを怒っていることに気づくでしょう。 親の行動と、人生観はまねられる。


“和顔” “愛語” “讃嘆” です。 ことばの創化力。 これが生長の家の教訓ではないか!


◎ 心の法則

 一、因縁因果の法則・・・積善、善徳の行い。

 一、心が物に表れる・・・歳暮のこころ。

 一、動反動の法則・・・奪うものは奪われる。

 一、親和の法則・・・似たものが集まる。

 一、認めると表れる・・・肯定。


◎ 三正行

 一、神想観・・・祈り

 一、真理の書・・・拝読

 一、善行・・・実践


                                    合掌




【ボーイスカウト・ガールスカウト和霊隊京都会合に参加して!】

人間の身体は、常に変化するそれが自然の姿である。

最も健康が理想だが、人生と云うものは、実に不公平である。 幸と不幸、成功不成功、病気と健康だが

不公平だろうか? 十年前の心掛けの 「今」 そして十年後は、 「今日の心掛け」ではないか?


先日、ボーイスカウト、ガールスカウトの会合が 京都 白川院であった。三十余名(六組の御夫婦)集合した。 当時、十歳余の少年少女達、隊長が二十八歳であった。今、隊長は八十七歳、会員達が六十歳以上と相成る。 はるか昔のボーイとガールである。

でも会えば、姿形はともかく六十年昔に一瞬に戻るエネルギーが有り余る不思議!

この会をプロデュースした幹事の福井浩さんの御苦労と会を盛り立てた“ オマキさん”こと山田和子ちゃん?御苦労さま。 しかし、この参加者達が役者も驚く名演技を示した。 これはボーイ、ガールの頃に、

磨かれた強者達。一朝一夕で出来るものではない。 数分の舞台裏の打ち合わせだが、舞台に上がると、出来るし、やるのだ。 京都である故の芸子や舞妓(これは少々無理があったとも感じるが・・・)

ところが舞踊が又素晴らしい!オペラ合唱団。それぞれひとりひとりが見事に演じ切るのである。


幕間が少しばかり沈む状況にでもなろうものなら、奥島隊員が即、ボーイガールの頃の唄で、音頭を取り盛り上げるのだ。 奥島隊員は現在、全国高等学校野球連盟会長(前早稲田大学総長)であるが、全くその素振りも見せない。 その場に合わせた下座行が出来る。

この和霊隊は、一座を組んで、慰労の劇団の旗揚げ公演でも、講演でも出来るぞと感心した。後者には一流が揃っている。 源氏物語で、天皇皇后両陛下に御進講を申し上げた、NHKで御存知の伊井春樹先生も居る。

参加者には京都平安神宮と 時代まつりの 特別席手配も行き届いていた。 1200年を二時間、二十行列の編成で2500名参加の時代行列は、絵巻として秋の好天気の最中、京都ならではの催しを満喫した。


                                        合掌

【坂村真民生誕百年記念祭に参加して】

五月十四日、奥島孝康高野連会長の就任祝いを大阪で催した折の事。

上甲正典済美高野球部監督から

「十月四日、時間を空けておくように。泊まりがけで来て下さい!」と云う。


‘坂村真民生誕百年記念祭’だと云う。


泊まりと云うのは、カラオケ好きの奥島会長、上甲監督、云わずもかな私を含むこの三人である。


十月四日、初日道後の花ゆずき温泉での会食。少しばかり焼酎が廻りかけた頃、砥部病院 中城院長が参加して来られた。話がどんどん弾み、中城院長と奥島会長は親戚同士であった事がわかった。

中城院長は、真民先生九十七歳の最後を看取った主治医であり、奥島会長

は、宇和島東高での初担任と云う奇縁である。この行事が無ければ、一生逢う事が無かったやも・・・。


坂村真民先生の“念ずれば花ひらく”の詩碑は、世界に七百基以上に及ぶ。砥部町の名誉町民でもある。

この記念祭のゲスト参加者は、石川洋氏(托鉢者)、鍵山秀三郎氏(イエローハット相談役)、加戸守行氏(愛媛県知事)、そして奥島孝康氏(高野連会長)と錚々たる人達その他多数。加戸知事は、“愛媛県産には愛がある”のPR書は“百億円”以上の効果を貰っていると仰った。奥島会長はよく坂村先生の家をたずねたが、お嬢さんが目当てだったとや・・・。“のんのさん”の呼称で呼んでいた。のんのさんとは田舎ことばの神様みたいと云うこと。石川洋氏は千年の石積みなる詩を多くの人々に導きを与え、京都の常勝寺に“念ずれば花ひらく”碑の第一号を建立した事をなつかしく思い出深く披露された。


真民さんは、森信三先生に詩人になることを勧められて、三度の訪問と出会いの中で、早く教師の職を辞めて、詩を書くよう進言を受けて、随分と悩んだと手記で読んだ。真民さんの詩は君が死んで五十年、百年経過して値打が出るだろうと云ったらしいが、何と生前に有名になられた。

詩国と云う詩集を発刊して、五百号以上を発表された。早朝一時、二時に起床されて重信川を散策することを死の直前まで実践されていた。砥部病院の院長は、入院された折、昼は起きて、夜お休みになるよう進言されたように伺った。師はお母様の背中をふる里にして、生命の輝きを発表していたとゲストのどなたかが云ってらした。ことばの炭鉱夫で、優しいことばで、詩を知らない人にもわかりやすい詩を、いろんな人々を励まし、勇気づける詩に、生命の輝きをよろこびの詩に書かれていた。


  大成とは一つの道を完成すること。

     “光らないものは、光を受けて光る”  

     “私は鳥になる。鳥には国境はない”

     “鳥は飛ばねばならぬ”

     “人は生きねばならぬ” 等々・・・。


真民さんは、“私は詩を作っても、詩人にはならない。”そして面白いと思ったのは、“老人は早起き”だと云うけれども、これは嘘だと仰っている。寝ていては光を灯すことも出来ない。創造する人間は絶えず、危機の中に身を置いていなくてはいけないとも・・・。大変に覚悟をもって人生を前向きに、外部から観た感じとは違った日常をおくられていたのだと想う。・・・これは御自分のことを云ったのだろう。・・・早朝の詩策もそのひとつ。


一道を行く者は、孤独だが、前からは引っ張ってくれる。後ろから押してくれる。天から見届けてくれている。だからひとりでも淋しくても、ただ黙々と歩く。

鈍刀は磨いて輝かずとも磨くことに意味がある。刀は鈍な刀でも、磨くとその人が変わる。それが努力と云うものだ。水だって止まると腐ると云い放つ。

花の咲かない木はない。すべての物は、生かされている。生かされているとは、天の心の花が咲いているのだ。


人間年によることの大切さがある。 年をとり人生が終わるのではない。 終りに近づいて、準備が始まる。 準備が出来るとは人生の始まり。 終わりから始まる人生がある。


私は病気をして人間になる。病気をして死と直面して人生の大切さを知る。死を意識することの意味を知り、機会を与えられた事に感謝する。


現実には区別、差別がある。 足の裏的人間たれ。汚れた場で区別されているようだが、足の裏がなければ、人間誰だって立つことも出来ない。その大切な役割があることを知って人生を歩もう!


人間は、死の着地点から、物事を考えると深い人生観に達するものだと説いた者がいたが、死とは不吉だと考えた。最も大事なのは、自覚、始めから自覚はなかったが、始めと終わりをみると、成る程。

死は、往生と書く。往生とは、彼岸の向岸で生きることである。葬式とは、始まりの日、輪廻転生を知る。

死は不吉ではない。人生とは面白い。だから何か次生に残ることを生きよう。人生とは面白いと知った。

“真民先生生誕百年祭”に招いてくれた、上甲正典氏に感謝を申し上げたい。  

                                     

                                       合掌